2025年10月30日午前2時の異世界ダイブ
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深夜2時のハイテンション状況下において、田中一広の頭に浮かんだ妄想を、冷静になった今、そのまま書き流す!恥じらいがあろうと書き流す!!
2025年10月30日午前2時の妄想は、「ヤケクソ」!
人間の言葉って不思議なもので、実際にその経験がなくとも、感情を込めて使ってしまうことがある。
たとえば、相手の態度が非常に冷たいことを示す「血も涙もない」だが、現実的に血と涙を持たないレベルの人を見たことはなかなかない。
仮にあったとして、お通夜で対面するご遺体だろうか。
ご遺体は確かに冷たい。腐食しないようドライアイスで冷やしているし。
でも「血も涙もない」という冷たさとは方向性が違う。
もちろん、「血も涙もない」という言葉を使っていたとて、んなこた分かっている。
ってことは、我々は言葉そのものが表しているものを受け取っていないのだ。
その最たるものこそ、「ヤケクソ」だろう。
言葉そのものを見れば、焼けたウンコである。
焼けたウンコは、焼いたウンコではない。
焼いたウンコは自発的に焼いたものだが、焼けたウンコなら、なんらかの理由によって不可抗力的に焼けてしまったのだ。
ならばと意味に着目すると、「ヤケクソ」は、物事にやぶれかぶれで当たることを意味している。
だが、「焼けたウンコ」はなんらかの理由によって不可抗力的に焼けてしまったのであって、やぶれかぶれ感はない。
むしろ、やぶれかぶれでぶつかった挙句、最悪の結果を迎えてしまったという空気感がある。
詩的に表現するのであれば、「兵どもが夢の跡」といったところ。
すなわち、「ヤケクソや、兵どもが夢の跡」なのだ!
2025年10月30日早朝時点における田中一広のコメント
いつにもまして、何言っているんだろうな、俺は。
多分、ヤケクソは、「やぶれかぶれ」を意味する「自棄」に対して、強調を意味するスラングとしての「クソ」がついたような気がする。
つまり、「自棄クソ」なんじゃないだろうか。
![Wuah!-[ワー!]](/images/20250800/logo.png)



