2025年10月31日午前2時の異世界ダイブ

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深夜2時のハイテンション状況下において、田中一広の頭に浮かんだ妄想を、冷静になった今、そのまま書き流す!恥じらいがあろうと書き流す!!

2025年1031日午前2時の妄想は、「ほんとにあった怖い話」!

実話怪談を元にドラマ化するというフジテレビの番組「ほんとにあった怖い話」。

オレはあの番組が大好きだ。

番組公開の一カ月ほど前から「今年はやるのか?やるよな?」とそわそわし、公開決定が伝えられると大喜びし、放映当日は酒を買い、テレビの前で準備万端にして観ている。

それくらい好きだ。

もちろん、ガチのホラー映画のように、価値観をぶっ壊され、夜中トイレに行けなくなっちゃってオシッコちびっちゃうような怖さはない。

ただ、お茶の間で晩酌しながら恐怖を楽しみ、番組が終わると「今年もよかった!」と楽しい気分で寝れるという、エンターテインメント作品としては万全のクオリティだと思う。

そこがいい。

そこがいいのだけれども、観ていて悩むこともある。

どこに悩むかと言うと、「主人公の気絶オチ」。

あの番組でよくあるパターンが、クライマックスで主人公が怪異に極限まで迫られ、「うわーーーー!」と叫び声をあげる→暗転→「そこで私の意識は途切れました。気づいた時には、私はその場で倒れていたのです。一体あの現象はなんだったのでしょうか」という、「結局怪異に遭遇しても何も起きねーんじゃねーかよ!」というパターン。

ホラーゲームと違って死ぬということはなく、さらには呪われるでもなく、その後は普通の日常生活に復帰してしまう。

いやもちろん、霊によっては「襲いたかったわけではなく、メッセージを伝えようとしていただけ」みたいなパターンもあるだろう。

けど、佐藤健氏が主人公を務めた「顔の道」なんかは、あきらかに悪意を持つ霊だったように思う。

では一体、「気絶」していた間、何が起きているのだろう?

最初に書いた通り、俺は「ほんとにあった怖い話」が大好きなので、ここでは批判的に考えるのではなく、極力肯定的に、「主人公の気絶後、一体、怪異は何をしたのか」を真剣に考えてみたい。

真剣に考える上で、前提としたいのが、「怪異(幽霊)は存在する」「物語展開にもよるが、基本的には怪異(幽霊)は生者(主人公)への悪意を持っている」「主人公は怪異(幽霊)遭遇後、悲鳴を上げて気絶した」という3点。

これらを崩すと、そもそもの検討が成り立たないからだ。

では一体、気絶後の主人公に対し、怪異(幽霊)は何を行なっているのだろう?

有望な仮説としては、「切れている」。

「ブチ切れている」という意味でも、「意思疎通が途絶している」とい意味でも「切れている」のではないだろうか?

考えてもみてほしい。

幽霊は肉体がない…つまり、思念体なのだ。

思念体だから、我々のことを眼球と視神経と脳で理解しているわけではない。

また、我々も幽霊を眼球と視神経と脳で理解しているわけではない。

おそらく我々の思念、すなわち意識がダイレクトに幽霊を認識しているのだろう。

ということは、気絶によって我々の意識が途絶えてしまったら?

…当然、意思疎通が途絶してしまう。

つまり、切れている。

要するに、オンラインゲームで対戦相手が通信切ったような状況だ。

そんな時俺らなら、どうなる?

そう、ブチ切れるよな!

そういうわけだ!

2025年10月31日早朝時点における田中一広のコメント

イワコデジマ、イワコデジマ、皆祷怖無、弱気退散!

番組スタッフの皆さん、これからも「ほんとにあった怖い話」楽しみにしています!

【妄想】【怖い話】

Creator

田中一広

五感を刺激する異界体験クリエイター。 企画/シナリオ/グラフィック/作曲/プログラムまで一人でこなし、アナログとデジタルの垣根を飛び越え独自の世界観をもった「異界体験」を作り上げるゲーム作家。 五感をゆさぶる異界へと案内します。

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