「MOON RISE EFFECT──It is room」【Day -5287】-ショートストーリー
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「おかえり。まずは今日習ってきたことの復習ね」…家のドアを開けるなり、生月/敏郎(いくづき としろう)は母親の言葉が聞こえた…ような気がした。だが、そんなわけはない。
確かに、塾が終わって家に帰るとまず母から言われる言葉は「復習しろ」だった。しかし、もう敏郎は塾に行っていない。見事、大学に合格したからだ。そして、大学に通い出したのを機に、一人暮らしを始めた。だから、母の声が聞こえるわけがない。
正直、母の言葉にはうんざりしていた。塾、予習、復習、試験、点数…口から出てくるのは勉強に関する言葉ばかり。反論すれば、敏郎の将来をタテに取って、「後で絶対に後悔する」と脅しにかかる。うんざりするだけでなく、正直、イラついていた。
さらに敏郎をイラつかせたのが、母親の「そんなんじゃ世間に顔向けができない」「世間が許せない」という言葉だ。世間が許さないのではなく、母親自身が許さないだけだ。でも、絶対に「自分の価値観が許さない」とは言わず、「世間」という主語を使う。それがたまらなく敏郎をイライラさせる。
あれは、高校3年のころだったか。イラつきのあまり敏郎は、母親に手を上げたことがある。いつもは威勢よく吠える母親が、あの瞬間だけ怯えた目をして黙った。そんな母の姿を見て、全身の煮えたぎるような感覚がスーッと収まっていく感じがしたものだ。
しかし、そんな母親も今はいない。今の敏郎には、ただ大学があるだけだ。母のことは気にせず、ただ毎日大学に通っていればいい。そして、いずれ就職する時期になったら、自分が入れそうな会社から一社選んではいればいい…。敏郎には夢はない。贅沢は言わないつもりだ。
「おかえり。まずは今日習ってきたことの復習ね」…大学から帰って家に入る度、その声が聞こえるような気がする。その日も母親の声が聞こえたような気がして、ただでさえ悪い気分が、さらに悪くなった。
今の敏郎には、ただ大学があるだけ…それはつまり、友だちがいないことを指していた。別に友達がいらないとまでは思っていないが、どう話しかけていいかわからない。
学校、塾、家での復習、学校、塾、家での復習、学校、塾、家での復習、学校、塾、家での復習…小、中、高12年間に渡ってそんなループを繰り返してきた敏郎には、他人への話しかけ方などまるでわからないのだ。
だから、敏郎はいつもトイレで昼食を食べている。行き掛けにコンビニで買ったパンをトイレの個室に持ち込み、そこで食べる。何もトイレで食べることはない…そんなこと敏郎もわかっているのだが、学食でグループ仲良く食べている人間達を見ると、いたたまれない気持ちになるのだ。
もちろん、食べる場所は学食だけではない。たとえば、キャンバス内のベンチで一人食べる…という方法もある。実際にそうやって一人で食事をしている人もいるようだ。しかし…、いざ一人で食事をしようとすると、周囲の目が気にかかってしまう。
「アイツ、一人で飯食ってるよ!」「うわー、寂しいぃ〜!超ボッチ野郎じゃん」…そんな風に笑われているような気がする。実際に周囲に誰もいなくても、敏郎の頭の中で作った「周囲の人」が、敏郎をバカにする。敏郎自身も、それが自分の頭の中の幻想だとわかっている。だが止まらない。
母親から繰り返し繰り返し、「世間」のイメージを英才教育されたためだろう。そんなんじゃ世間が許さない、そんなんじゃ世間に笑われる、そんなんじゃ世間に認めてもらえない。
「うるせえっ!うるせえよクソババアが!!」…母親のことを考えている内に怒りで昂ぶり、思わず敏郎は叫んでいた。叫んだあとで焦って周りを見回す。大学ではない。自分の部屋だ。
敏郎は自分の部屋であることに安心して胸をなでおろしたが、自分の家だからといって聞いている人間がいないわけじゃない。ここはアパートだ。隣の部屋からうるさいと苦情を言われるかもしれない…。
そんなことを考えていると、ドアがドン、ドンと鳴った。「ご、ご、ご、ごめんなさい…し、し、静かにします…」敏郎が精一杯の声でそう告げると、「え?何謝っているの?」という声。その声は、母親のものだった。
「え…!? 母さん? …どうして…?」「いや、あなたが心配になって…。ねえ、開けてくれる?」「え、い、い、いや…」「どうしたの…? あ…まさか…、彼女でも連れ込んでいるの?」「そ、そうじゃないよ! …ただ、明日のゼミ用のレポートを書き上げないと、間に合わないんだ…」
「レポート? ああ…大学のゼミによっては、相当枚数の多いレポートを要求されるみたいだものね。…それならわかったわ。スーパーで“おミカン”買って来たから、ドアノブにかけていくわね。後で食べなさい。ビタミン大事だから…」その言葉の後、母親の足音が遠のいていった。
ドアを開けてノブを確認すると、スーパーの袋がかかっていた。中にはミカンが5つ。敏郎は袋を持って部屋の中に入るとカギをかけ、ミカンをバスルームのの床に叩きつけた。5つのミカンがグチャグチャになる。それを見ると、全身の悪い気分がいくらかよくなった…ような気がした。
敏郎は携帯用音楽プレイヤーを買った。ヘッドフォンを使って音楽を聴いていれば、母親の幻聴が気にならないだろう…と思ったのだ。本当はスマホが欲しかったが、未成年の場合、購入するには親の同意が必要だ。母親にスマホが欲しいといえば、また世間がどうのこうのと言われるに違いない。
携帯用音楽プレイヤーの効果はてき面だった。ヘッドフォンをつけていると、家に帰ってきても母親の「おかえり。まずは今日習ってきたことの復習ね」という声が聞こえない。さらに、昼食の時の人の目も、あまり気にならなくなった。学食で食べるのはさすがにハードルが高いが、ベンチで食事する分には大丈夫だ。
ただ、通帳の貯金額が減ってしまったのが痛い。何か、バイトを探さないと今月もたないかもしれない。人とコミュニケーションをする必要がなく、大学生活にも支障がない…そんなバイトがないものか…。そんなことを考えていると、ドンドン!とドアが鳴った。
「敏郎ちゃん? いるの? ねえ? いるなら顔見せてよ! ねえ」その声に、敏郎は押し黙った。幻聴が聞こえなくなったと思ったら、母親が実際にやってくるようになるとは…。体中の血が濁って重くなっていく…そんな感覚に敏郎は襲われた。
「ねえ? 聞いてる? 敏郎ちゃん? お母さんよ? わざわざお母さんが来てあげたのよ…?」…声以上に、母親の言葉選びが敏郎の癪に障る。「来て“あげた”」「育てて“あげた”」「教えて“あげた”」上から目線のその口調!
敏郎は音を出さないようゆっくりと部屋を移動し、押入れの中に入った。かびの匂いが鼻をつくが、布団のやわらかい感触が心地いい。押入れの中で敏郎は、ゆっくりとヘッドフォンを耳に当てた。奮発していいやつを購入したので、外に音が漏れることはないはずだ。
…どうやら、敏郎は寝てしまっていたらしい。気づいて押入れから出ると、窓の外は真っ暗だった。母親の声は聞こえない。さすがに諦めて帰ったようだ。敏郎は少しほっとしたが、これからもこうして母親がやってくることを考えると、気が滅入った…。
それから、敏郎は返ってくるとすぐに押入れに籠もるようになった。押入れに入って音楽を聴いていれば、たとえ母親が来ても、気づかずに済むからだ。慣れてくるとかび臭い匂いも気にならなくなり、押入れが快適に感じるようになった。
そんなある日…敏郎は押入れの中で母親の夢を見た。夢の中でも母親は敏郎にアレコレ言っている。本人は決して敏郎を責めるつもりじゃないのだろう。だがよく通る甲高い声質と、高圧的な性格とがあいまって、責めているようにしか聞こえない。母親は敏郎を無限ループで責め続ける。
学校に行かないと世間が許さない、成績が悪いと世間に笑われる、塾に行かないと世間に認められない、復習をしないと世間で通用しない、学校に行かないと世間が許さない、成績が悪いと世間に笑われる、塾に行かないと世間に認められない、復習をしないと世間で通用しない…。
学校に行かないと世間が許さない、成績が悪いと世間に笑われる、塾に行かないと世間に認められない、復習をしないと世間で通用しない、学校に行かないと世間が許さない、成績が悪いと世間に笑われる、塾に行かないと世間に認められない、復習をしないと世間で通用しない…。
学校に行かないと世間が許さない、成績が悪いと世間に笑われる、塾に行かないと世間に認められない、復習をしないと世間で通用しない、学校に行かないと世間が許さない、成績が悪いと世間に笑われる、塾に行かないと世間に認められない、復習をしないと世間で通用しない…。
いい加減にしろっ!!
──怒鳴り声とともに、敏郎は目覚めた。怒りに身を任せて勢いよく押入れの扉を開ける。すると、そこには、敏郎の姿に驚く母親の姿があった。恐らく、合鍵を使って入ってきたのだ。勝手に。
「ふざけるな!誰が入っていいって言ったんだよ!!」敏郎は母親めがけて思い切り拳を突き出した。「いい加減まとわりついてくるんじゃねえ!お前のせいでオレの人生は最悪なんだ!お前のせいで友達ができない!お前のせいで一人で食事ができない!お前のせいでオレは勉強以外のことがわからない!全部お前の、全部お前のせいだ!!」
敏郎は怨嗟の声を上げながら、母親に向かって拳を叩きつけ続ける。ドスッという鈍い音が繰り返され、拳に痛みが走る。母親が泣きわめきながら許しを乞う。構わず殴る!お前は死ねと思いながら。殴った母親の肌が赤く変色していく。次第に紫へ…。それでもかまわず、敏郎は拳をふるい続けた。
そして、ひとしきり拳をふるい続けた後──そこに、母親などいないことに、気づいた。
殴っていたと思った母親は、敏郎の記憶に残っていた幻影だ。
──あれは、高校3年の冬だったか。イラつきのあまり敏郎は、母親に手を上げたことがある。大学入学で第一志望を逃し、第二志望にギリギリ合格した敏郎に対し、母が「そんな大学じゃ世間の笑いものじゃない!」と言った。その言葉で敏郎の中の何かがはじけた。
気づくと敏郎は母親を殴っていた。そこには、敏郎の姿に驚く母親の姿があった。いつもは威勢よく吠える母親が、あの瞬間だけ怯えた目をして黙った。そんな母の姿を見て、全身の煮えたぎるような感覚がさらに爆発した。
──やがて、敏郎が気づいた時、そこにあったのは、全身が黒に近い紫色に染まった母親の姿だ。変わり果てた母親の姿を見て、敏郎はどうしていいかわからなかったが、「バレたらおしまいだ」ということはわかった。
だから、スーパーで毛布を買ってくると、それで母親の死体をくるみ、畳の下に隠した。部屋はアパートの2階なので、1階の住人にとって天井裏に死体を隠すことになる。毛布でくるんだのは、母親の血液が下の階へと漏れないようにするためだった。
母親を死体を処分したことを機に、敏郎は一人暮らしを始めることになった。だから、母の声が聞こえるわけがない──いや、だから、母の声が聞こえていたのか?今まで一緒に暮らしていたのだから。
そんなことを考えていると、ドアがドン、ドンと鳴った。ヘッドフォンは外れていた。畳を殴ったせいで下の住人が苦情を言いにきたのかも…?そう思った次の瞬間、「……さん、警察の者なんですが…」という声が、聞こえて来た。
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製品仕様
対象OS
iOS/Android/Kindle
価格
240円