人のいない通路
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これは、都内の広告代理店に勤務するMさんという方から伺った話である。
彼の職場は激務で、終電間際に駅へ駆け込むこともしばしばだったそうだ。
彼が利用するターミナル駅には、地下深くに作られた新しい路線へ続く、やたらと長い乗り換え通路があるという。
日中は多くの人々が行き交うその通路も、深夜になると人影はまばらになり、動く歩道もぴたりと停止する。
蛍光灯が煌々と照らす、タイル張りの無機質な空間。
自分の革靴の音だけがやけに大きく反響する、まるで世界の終わりのような静けさが、彼は少し苦手だったらしい。
異変に気づいたのは、ある残業の帰りだった。
そのだだっ広い通路のちょうど真ん中に、片方だけの子ども用の黄色い長靴が、ぽつんと置かれていたそうだ。
誰かの忘れ物だろうと、その時は気にも留めずに通り過ぎたという。
しかし、翌日の深夜、同じ場所を通りがかると、昨日とまったく同じように、黄色い長靴が片方だけ置かれている。
清掃員が気づかなかったのだろうか。
だが、黄色い長靴はその次の日も、同じ場所にあった。
そして、さらに次の日も、また次の日も…。
まるで誰かがそこを定位置と決めているかのように、長靴は必ずそこにあったらしい。
ある晩、さすがに気味が悪くなったMさんは、意を決してその長靴に近づいてみた。
すると、どこからか「ぴちゃ…ぴちゃ…」という、微かな水音が聞こえてくる。
音の出どころは、その長靴の中からのようだった。彼は恐る恐る中を覗き込んだ。長靴の底には水が溜まっており、ぬるりとした水垢のようなものがこびりついていたという。
ここ数日、雨など降っていないにもかかわらず。
そして、淀んだ下水のような生臭い匂いが、ふわりと鼻をついたそうだ。
それからしばらくして、嵐のような大雨があった。
その時、MさんはSNSでこんな記事を目にしたという。
その長い地下通路が建設されるずっと昔、あの辺り一帯には、大規模な暗渠、つまり蓋をされた古い川が通っていたという。
十数年ほど前、記録的な豪雨があった日、その暗渠に繋がるマンホールに、一人の幼い男の子が転落し、そのまま行方不明になるという痛ましい事故があったそうだ。
大規模な捜索が行われたが、男の子は見つからず、ただ、彼が履いていた黄色い長靴の片方だけが、ヘドロにまみれた状態で見つかった、と。
男の子が転落した時、周囲に人影はなく、誰も気づいてやることができなかったそうだ。
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