となりのブース
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これは、フリーランスで物書きをしているHさんという方から聞いた話だ。
彼は仕事柄、終電を逃したり、あるいは自宅では集中できない時に、駅前の雑居ビルに入っているネットカフェをよく利用していたという。
そこは少し古びていて、店内にはいつも埃とカビが混じったような、淀んだ空気が漂っていたそうだ。
彼がいつも利用するのは、一番奥まった場所にあるフラットシートのブース。
そこで仮眠を取ったり、原稿を書いたりするのが常だった。
ただある夜、いつものようにパソコンに向かっていると、隣のブースから奇妙な音が聞こえてくることに気が付いたらしい。
「きゅきゅ…きゅ…きゅ…きゅきゅ…」
皮のような素材に、人肌をこすりつけているような音。
そんな音が、延々と続いている。
もしかして、何か特殊な性癖を満たそうとしているのではないか……Hさんは最初。そう考えたという。
しかししばらくすると、何が違うことをしているのだろうと考えた。
というのも、仕切り板の下にある数センチの隙間から、ツンと鼻を突く、酸っぱいような異臭が漂ってきたのだ。
Hさんは思わず、仕切り板の下から隣のブースを覗こうとしたという。
姿勢を変える音が隣のブースに伝わらないよう、静かに、ゆっくりとブースに伏せ隙間に目を近づける…。
しかし当然ながら、隙間から隣のブースを覗き見ることはできなかった。
ただ、隙間に目を近づけた瞬間、「きゅきゅ」という音が止まったという。
「気づかれた!」そう思ったHさんは、ブースの外に出てゴマかそうかとも思ったが、むしろ逆効果になるだろうと考え、極力静かに、ゆっくりと、元の状態へと姿勢を戻した。
すると、再び「きゅ…きゅきゅ…」という音が聞こえてきたそうだ。
そしてその音は、翌朝まで止まることはなかったという。
「きゅきゅ…きゅ…きゅ…きゅきゅ…」
一晩続いたその音に、Hさんはすっかり参ってしまったそうだ。
翌朝、朝食を採るタイミングで隣のブースを見ると、扉が開いていて中には誰もいなかった。
そこでHさんは、「隣の客が何か不審なことをしていたのかもしれない」という報告の体で、フロントの店員に聞いてみたという。
するとフロントの店員は、Hさんの隣のブースに客は入っていなかったと答えた。
もちろん別のブースを借りている客が、無断で部屋を使っていたのかもしれない。
けど、そうじゃなかったなら、あの音は何だったのか。あの刺激臭は何だったのか。
Hさんはそれ以降、あの音と匂いが頭から離れず、ネットカフェを使うのをやめてしまったという。
![Wuah!-[ワー!]](/images/20250800/logo.png)



